外国人が暮らしやすい地域に 日体大理事長 松浪健四郎

 戦後生まれの私たちは、ジープに乗る米軍兵の姿と町内で接するのは日常だった。私たちは、何も恐れずにジープを追う。兵隊たちは、子どもたちにガムやチョコレート、キャラメルを配って融和政策をとる。で、戦後生まれの日本人は米国に対して敵意を持たず、むしろ友好的だったと述懐する。私も米国に憧れ、留学したいと小学生時代から考えるようになっていた。

 留学には先進国へ行くのだから大金が必要で、富裕層の子弟でなければ難しい時代だった。それでも卓越した学力、才能や技術力があれば、米国は外国人の入国、留学を認める国だと知った。で、私はレスリング修業に打ち込み、この強さを武器にして留学することに成功した。大学で全額奨学金を受けたが、米国の大学は世界中から留学生を受け入れていたのには感心した。私のルームメイトは、ドミニカからの留学生で陸上選手だった。

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